集中ゼミ1アブストラクト

トポロジカル磁性体の磁気光学応答

高橋 陽太郎先生(東京大学)

物質の持つトポロジカルな性質は、現代の凝縮系物理の中心的な研究対象である。トポロジカル物質では、その電子構造を反映した電磁気応答が生じることがある。その代表例が、量子化異常ホール効果、巨大異常ホール効果や非線形光学効果である。異常ホール効果は、強磁性体において生じる自発的なホール効果であり、その起源の一つがバンド構造に由来した内因性機構として知られている。近年の研究で、トポロジカルな電子構造によって、異常ホール効果が増大されることが明らかになり、トポロジカル物質の一つの特徴であると認識されている。我々は、異常ホール効果と関連した現象である磁気光学効果に着目した。磁気光学効果は時間反転対称性が破れた物質中で観測される現象で、反射光や透過光の偏光回転として観測される。トポロジカルな電子構造の特徴的なエネルギースケールは数ミリ~数百ミリ電子ボルトであり、トポロジカル磁気光学効果を観測するためにはテラヘルツや遠赤外といった低エネルギー領域の磁気光学測定が必須となる。この実験手法を用いることで、トポロジカルバンド間の光学遷移が、巨大な磁気光学効果を生み出すことを明らかにした。本集中ゼミでは、「異常ホール効果と量子化異常ホール効果」、「異常ホール効果と磁気光学効果」、「磁気光学効果の観測方法」、「様々なトポロジカル物質における磁気光学効果の観測とその理解」といったトピックについて解説する。

周期駆動非平衡量子系の理論の入門

佐藤 正寛先生(茨城大学)

近年、物性物理学の広範な領域で非平衡系の研究が精力的に行われている。物質を非平衡化させるのに有効なレーザーや光に関わる科学が著しく発展していること、主に非平衡状態を扱うエレクトロニクス・スピントロニクスが大きく発展したこと、非平衡統計力学が発展を続けていること、既存の非平衡系の方法が物性分野に浸透してきたこと、平衡系(またはその近傍)の理解が既に深化していること、などが非平衡系研究の活性化に大きく影響していると思われる。「非平衡」とはその名の通り平衡以外全てを指しており、それ故非平衡系全てを記述する万能な理論は存在しないが、それでも物性実験で実現する非平衡系を(部分的にでも)うまく記述できる理論的方法が日々探索されている。中でも成功を収めている代表的戦略として、非平衡グリーン関数の方法、量子マスター方程式の方法、フロケ理論と高周波数展開法などが挙げられる。本講演では、多種多様な非平衡系の中でもレーザー中の物質に代表される周期駆動量子系に焦点を絞り、その入門的内容を解説したい。物性物理学における周期駆動系の物理は、フロケ理論の考え方が物性領域に浸透することで、ここ10年で大きく進展した分野と言える。非平衡系の理論は着々と発展しているが、まだまだ未解明問題が転がっており、若手研究者が参入するスペースが十分残されている。非平衡物性の決定版的テキストがないことも、開拓地の大きさを示唆している。主に周期駆動量子系の理論の基礎とその応用例に時間を割くつもりだが、時間が許せば、より現実的な散逸がある周期駆動系の理論についても触れたい。せっかく受講してくれる奇特な学生さんを考慮に入れて、標準的な講義内容だけでなく、私見も伝えられればと思う。

冷却原子系を用いた量子シミュレーション実験

中島 秀太先生(京都大学)

1995年の希薄原子気体Bose-Einstein凝縮の実現以降、冷却原子系は新たな物性研究の対象として、理論・実験ともに活発に研究が行われている。特に冷却原子系はその高い制御性からいわゆる「量子シミュレータ」の有力な候補であり、近年その制御性の向上とともに、物性物理分野だけでなく非平衡系物理や量子情報分野にもインパクトを与えるような研究が次々と行われている。

集中ゼミの前半では、Feshbach共鳴や光格子、Rydeberg原子といった、冷却原子系を用いた量子シミュレータの「ツール」となる物理について説明する。「Feshbach共鳴」は冷却原子系において原子間相互作用(s波散乱長)の制御を可能にする現象で、冷却原子系を用いて量子多体系を研究する上で重要なツールとなる。また「光格子」と呼ばれる、レーザー光の定在波による周期ポテンシャルを冷却原子系に構築することで、冷却原子系に格子構造やそれに由来するバンド構造を導入でき、固体物理で研究されるHubbardモデルのような系の量子シミュレーションが可能になる。「Rydberg原子」は主量子数nが非常に大きい軌道に励起された電子をもつ励起状態原子で、これを用いた量子シミュレーション・量子コンピュータ研究が近年急速に進展しているところである。

集中ゼミの後半では、この分野の最先端の研究を紹介するとともに、時間があれば、私が研究を進めている冷却原子系を用いた量子多体系における量子散逸・量子情報ダイナミクスの研究についても紹介したい。

カオスの縁における神経活動の雪崩現象

豊泉 太郎先生(理化学研究所)

神経活動のダイナミクスを理解する上で、二種類の臨界現象が重要とされています。一つは、非カオス状態からカオス状態に転じる境界領域で観測される現象で、カオスの縁と呼ばれます。カオスの縁では、神経ネットワークの計算効率が高まることが報告されています。もう一つは、連鎖的に起こる神経活動の規模の分布がべき乗則に従う現象で、雪崩現象といいます。しかし、この二つの臨界現象がどのように関係しているかは分かっていませんでした。本講演では、シナプス強度の分布がガウス分布に従うような従来の神経ネットワークモデルでは、この二つの臨界現象を同時に再現できないことを示します。次に、近年生理実験で計測されているように、シナプス強度の確率が裾の厚い分布を示すモデルを導入します。そして、このモデルではカオスの縁で雪崩現象が生じることを理論と数値解析によって示します。

熱電応答理論の基礎と応用

山本 貴博先生(東京理科大学)

物質の両端に温度差を与えると起電⼒が⽣じる⾮平衡現象、いわゆるゼーベック効果が発⾒されたのは今から約200年前(1821年)のことである。ゼーベック効果の発⾒により、ボルタの電池(1800年に発明)では実現困難であった「定常的な起電⼒」を発⽣させることが可能となり、1827年にはゲオルク・オームがゼーベック効果を利⽤することで「オームの法則」を再発⾒した。19世紀後半になると、化学電池の普及によりゼーベック効果の役割は限定的なものになったが、時を経て21世紀の今⽇、ゼーベック効果による熱電発電はIoT社会を実現するための⾃⽴電源として再び注⽬されるようになった。そのような中、最近、この熱電発電技術を⽀える学理「熱電応答理論」に⽬覚ましい進展があった。 本講義では、熱電応答理論の最近の発展とその応⽤について説明する。具体的には、ボルツマン⽅程式に基づいた従来の熱電応答理論について説明した後に、 ボルツマン理論の適⽤範囲を超えた領域(beyond Boltzmann)での熱電応答を扱う理論としてKubo-Luttinger理論を紹介する。さらに、Kubo-Luttinger理論の実践的応⽤例として、不純物ドープしたカーボンナノチューブの熱電効果について紹介する。

なお、本講義は理論系だけでなく実験系の⼤学院⽣も楽しめる内容になっている(本当はこれから頑張って準備する)ので、お気軽にご聴講ください。

参考⽂献
⼭本貴博, ⼩形正男, 福⼭秀敏: ⽇本物理学会誌 2021年4⽉号「最近の研究から」

Noisy Intermediate-Scale Quantumデバイスを用いた物性シミュレーションの可能性

中川 裕也先生(株式会社QunaSys)

誤り訂正機能は持たないが高精度に操作可能な量子ビットが中規模(〜数百個)に集積された、Noisy Intermediate-Scale Quantum (NISQ) デバイスが実現しつつあり、アカデミア・民間企業の双方で量子コンピュータに関する精力的な研究が行われている。

本集中ゼミでは、量子コンピュータ(特に、NISQデバイス)を用いた物性シミュレーションの可能性について議論する。はじめに量子計算に関する基礎概念を簡単に述べたあと、NISQデバイスの現状や産業界の動向をレビューする。そして、量子多体系(特に物性物理や量子化学)の問題をNISQデバイスで扱うのに適していると考えられている代表的な手法(例:variational quantum eigensolver)を紹介する。こうした手法の最前線の研究課題や問題点について議論をするとともに、NISQデバイスを用いた物性シミュレーションが古典コンピュータによる計算を上回るためには何が必要か、参加者の皆さんと共に考えていきたい。