講義アブストラクト

物性物理にあらわれるトポロジカル応答現象

森本 高裕先生(東京大学)

物性物理学は、ある物質が電気を通すか、磁石としての性質を示すかといった「ものの性質」を、固体中の電子の振る舞いに即して研究する学問分野です。物質の電気的・磁気的性質の多くは、結晶中の電子を記述するバンド理論に基づいてそのエネルギー構造から理解することができます。一方で、近年の研究において、結晶中の電子の波動関数の構造、特にその位相の構造が顕著な物性現象を引き起こすことが明らかになってきました。このため、波動関数の位相のなす幾何学的な構造(トポロジー)に由来する新しい量子相や応答現象の研究が、現在の物性物理学の大きな流れの一つになっています。

本講義ではこのような物性物理にあらわれるトポロジカルな応答現象について解説を行います。物質中の幾何学の基礎であるベリー位相やベリー曲率といった概念からはじめて、量子ホール効果、トポロジカル絶縁体などにあらわれるトポロジカル応答現象を解説しまします。さらには、非平衡系や非線形応答現象にあらわれるトポロジカル現象であるフロッケ・トポロジカル相やシフト電流といった最新の話題についても触れようと思います。

3日間の講義は以下のような構成ですすめることを予定しています。

量子スピン液体の素励起

宇田川 将文先生(学習院大学)

量子多体問題を解くにあたり最も大事な目標は基底状態の性質を明らかにすることである。しかしながら、基底状態は言わば「器」であり、その多くの魅力的な性質を実験的に観測し、外部から制御して引き出す際には、器の中を飛び交う素励起が重要な役割を果たす。本講義では量子スピン液体と呼ばれる多体状態に焦点を当て、素励起の理解を通じてその性質を概観したい。

量子スピン液体の素励起の著しい特徴はその分数性である。すなわち、系を構成する自然な自由度である電子やスピンが複数の自由度に分裂して振る舞い、分裂により「増えてしまった」自由度はゲージ場の導入により補償される。ゲージ理論に従う分数励起の特徴をもっとも明らかな形で示す具体例は量子スピンアイスの磁気および電気モノポールであろう。これらの粒子は格子上の量子電磁気学(QED)に従い、大きな微細構造定数をもつ強結合QEDや、格子系特有のスペクトル特異性や運動量分数化など、我々の住む世界を記述する基礎理論としてのQEDには見られない、QEDの新しい側面を見出すことができる。

またゲージ場との結合によって生じる素励起の非局所的性質は、その極端な例をKitaevスピン液体のマヨラナ粒子に見い出すことができる。量子力学が内在的にもつ非局所性の典型例としてしばしば挙げられるEPR現象では、遠く離れた二つの量子状態の関係性が非局所的に保たれる。マヨラナ粒子はある意味、このEPR現象を凌駕するレベルの非局所性を有しており、一つの量子状態それ自身の情報を分割して非局所的に保つことができる。マヨラナ粒子がトポロジカル量子計算の素子として利用できる、とよく言われる所以のひとつである。本講義では(量子)スピンアイスとKitaevスピン液体を具体的な題材に選び、量子スピン液体の素励起の性質を現代的な話題も交えつつ解説していきたい。

X線とレーザーによる遷移金属化合物の秩序とダイナミクス研究

和達 大樹先生(兵庫県立大学)

遷移金属化合物は、高温超伝導、巨大磁気抵抗効果、マルチフェロイック性、金属絶縁体転移などの興味深い性質のために、物性物理学において常に注目を集めている。これらの系ではd軌道やf軌道部分的に埋まっており、そのため電子が電荷、軌道、スピンの3つの自由度を持つ。上記の多彩な性質の背景にはほとんどの場合、電荷・スピン・軌道の秩序が起こっており、このような秩序状態を観測することが極めて重要である。本講義では、シンクトロン放射光とX線自由電子レーザーを用いた秩序状態とそのダイナミクス研究を紹介する。特に強調したいのは、その超高速なダイナミクス、特にピコ秒程度以下の領域の現象であり、時間分解X線回折・分光による例を示す。X線によるピコ秒以下の現象の観測は、X線自由電子レーザー施設、日本のSACLAなどの登場によって急速な発展をせている。そして、超短パルスレーザーを組み合わせたポンプ・プローブ型の時間分解測定により、ピコ秒以下のスケールでの格子振動などの格子ダイナミクスや、強磁性体の磁化が消える(消磁)スピンのダイナミクスが実時間で観測されている。これらの研究により、今後は物性物理学の最大のテーマとも言うべき磁性研究における大きなブレークスルーが期待できる。また、大型施設によらず実験室光源でX線を得る試みも、進展が大きな分野である。X線による物性研究の幅広さ、面白さ、将来性などを感じていただきたい。

相転移ダイナミクスと関連分野の近況

栗田 玲先生(東京都立大学)

相の状態が変化する相転移は自然界一般に多くみられている現象である。相転移のダイナミクスにおいて特異なマクロスコピックなパターン形成が見られ、このパターンは物性に影響するため、注目を浴びることが多い。今回の講義では、相転移の静的な性質と動的な性質の基礎的な部分を説明する。この基礎的な考え方は他の系にも応用することが出来るため、関連分野が広い。どのような共通性を有しているかを中心に、周辺分野についても紹介していく予定である。

"生態系"の統計物理学

島田 尚先生(東京大学)

今世紀に入る頃から、生体内反応系や遺伝子ネットワーク、生態系、経済系、人間社会のコミュニティ等の系についても大規模で精細なデータが手に入りやすくなり、これが例えば複雑ネットワーク科学の発展に繋がってきました。多数の粒子から成る系の性質を理解するのには統計力学が大きな成功を収めてきましたが、上記のような系を対象にしたいと考えると、多数というより多種の要素が複雑な構造で相互作用しつつ共存しつつ時間発展しているという特徴が普遍に見られることに気付きます。このような、``生態系''タイプの系は、誰かがある日慎重に作ってからそっと手を離した、というわけではないので、その複雑な構造を維持して存在していること自体が驚きの対象となります。

本講義ではまず、新しい要素の追加や除去という劇的な変動にさらされているはずのこれらの系が複雑な構造を獲得・維持できるのはどんな条件や機構によるものかという1970年代に遡る一般的な問題についてレビューし、最近の我々の理論的発見について解説します。また、上記の広い意味での生態系について大規模で精細なデータが手に入りやすくなったことから得られた知見や、そのような背景を生かす取り組みに関する話題についても取り上げる予定です。

量子アニーリングやイジングマシンの基礎と応用

田中 宗先生(慶應義塾大学)

本講義では、近年、産学両面から注目されている新しい計算技術である量子アニーリングやイジングマシンの基礎と応用について紹介する。これらの計算技術は組合せ最適化問題(膨大な選択肢から、制約条件を満たし、ベストな選択肢を探索する問題)に対する高効率解法として期待されている。これらの計算技術は物理学の概念を取り込んだアルゴリズムを基盤としており、統計力学による理論構築や、ハードウェア開発、ソフトウェア開発、アプリケーション探索といった幅広い領域の研究開発が同時進行で進められている。また、これら一連の研究開発について、大学や研究所、企業がともに推進しており、ダイナミズムを感じることのできる分野である。

本講義は以下の構成で進めていく予定である。

  1. 量子アニーリングやイジングマシンを理解する上で必要となる統計力学や量子力学の最低限の知識についての復習
  2. これらの計算技術の動作原理についての紹介
  3. これらの計算技術の対象となる組合せ最適化問題の導入
  4. これらの計算技術に関する最先端研究開発事例紹介
  5. これらの計算技術を試すことが可能なソフトウェア開発環境についての紹介

本講義を通じ、量子アニーリングやイジングマシンの研究開発に興味を持つ方々が増えることを願うとともに、今すぐにこれらの計算技術に対する研究開発に取り組む予定がなくとも、様々な立場で研究を進めることの意義が少しでも伝わることを願う。