集中ゼミ1アブストラクト

有機材料の光電子分光計測:電子―フォノン協奏系の特徴を知る

解良 聡先生(自然科学研究機構 分子科学研究所 教授)

分子の形とは何だろう?分子が機能を発現する起源や、物性を司る本質を見出すために重要な問いのひとつであると思う。有機化合物は本来、絶縁物として分類できるが特徴的な電気特性、輸送・変換特性を示すものが多くある。これらの分子を材料として応用展開しようとすると、しばしば固体物理学で培われてきた従前の学理が適用できない状況に遭遇する。分子間の相互作用は緩く結合したvan der Waals力によって固体を形成するものが多く、その機能・物性を司る本質は、分子に局在化した電子と多彩な階層フォノン(集団的格子振動・局所的分子振動)が担っている。弱い相互作用の影響は狭いエネルギー領域で複数現象が競合する形で現れるため、実験計測自身の困難さに加え、本質的に外的環境因子で容易に変化する柔らかな状態で、研究対象として「観測しにくい」状態である。こうした電子とフォノンの協奏系の電子状態や振動状態を精密に計測することで、はじめて複雑な分子集合系の特徴を露わにすることができ、「輸送する電荷・変換される電荷の姿」を量子論的に理解することが可能となる

非平衡量子系の解析方法:入門と実践

佐藤 正寛先生(茨城大学大学院 理工学研究科 准教授)

近年、物性物理学の広範な領域で非平衡系の研究が精力的に行われている。物質を非平衡化させるのに有効な外場であるレーザーや光に関わる科学・技術が著しく発展し続けていること、非平衡系が主戦場となるスピントロニクスが大きく発展したこと、非平衡状態に関する活発な理論研究が継続していること、既存の非平衡系の方法が物性分野に浸透してきたこと、平衡系(またはその近傍)の理解が既に深化していること、などが非平衡系研究の活性化に大きく影響していると思われる。「非平衡」とはその名の通り平衡以外全てを指しており、それ故非平衡系全てを記述する万能な理論は存在しないが、それでも物性実験で実現する非平衡系を(部分的にでも)うまく記述できる理論的方法が日々探索されている。中でも成功を収めている代表的戦略として、非平衡グリーン関数の方法、フロケ理論と高周波数展開法、量子マスター方程式の方法などが挙げられる。本講演では、特に、後者2つに関わる基礎的・実績的内容について講義したい。非平衡系の理論は着々と発展しているが、まだまだ未解明問題が転がっており、若手研究者が参入する価値が十分あることも伝えたい。非平衡物性の決定版的テキストが未だないことも、開拓地の大きさを示唆している。講義時間の短さと講師の浅学も踏まえて、研究業界に長年携わっているから認識できるテキストには載っていないような私見も伝えられればと思う。

トポロジカル物質の性質と、その物性への応用

小形 正男先生(東京大学大学院 理学系研究科 教授)

トポロジカル物質への導入としてベリー位相から入り、それの波数空間への拡張、トポロジカル絶縁体や量子ホール効果、異常ホール効果との対応などについて議論する。その後、具体的なモデルハミルトニアンとしてディラック電子系やワイル電子系の問題を議論する。具体的にはグラフェンやビスマスの系などを取り上げる。とくに空間反転対称性の破れや、時間反転対称性の破れ、スピン軌道相互作用の働きについて述べる。さらに、トポロジカルな性質がどのように物性に現れるかについて、いくつかの物理量について議論する。トポロジカル絶縁体における表面電流が典型的なものであるが、これは熱力学的な状態によるものであり散逸を伴わない流れであるために、外に取り出すことができない。これに対して、バルクな物理量でベリー曲率などが現れる現象について議論する。最後に時間があればノーダルライン半金属について、最近の話を加える。

  1. ベリー位相、ベリー曲率
  2. トポロジカル絶縁体と量子ホール効果
  3. ディラック電子系、ワイル電子系
  4. 物性への現れ方
  5. ノーダルライン半金属

アクティブマターの集団運動における秩序・ゆらぎ・トポロジー

西口 大貴先生(東京大学大学院 理学系研究科 助教)

水族館で渦巻くイワシの群れ、大空で変形を繰り返すムクドリの群れ、培養皿の上で向きを揃える細胞集団…、このような動きまわる要素の集団(=アクティブマター)に、マクロな普遍法則はあるのだろうか?

アクティブマターは、構成要素ひとつひとつのスケールで自由エネルギーが運動に変換され、そして散逸する、本質的に非平衡な系である。そのようなアクティブマターでは、平衡系には見られない新奇な数理的性質が現れる。たとえば、平衡系では禁止される2次元系での長距離秩序が現れたり、南部・Goldstoneモード由来の異常な密度揺らぎが生じたりする。

この集中ゼミでは、集団運動の標準模型に関する理論の導入からはじめて、理論と実験の最新の知見まで紹介する。具体的には、実験室で再現性良く実験できるバクテリアを主な題材として、バクテリア集団運動からいかにして秩序が発現するかを議論する。通常は乱雑に速度場が変動するアクティブ乱流相しか示さない遊泳バクテリア集団だが、これらが長距離の配向秩序や反強磁性渦格子秩序を自発形成する状況を実験で実現できる。秩序発現の必要条件について議論し、実験を基に発展したトポロジーを用いた最新の理論も紹介する。

アクティブマター分野は、一見いろんな実験ができそうに思えるが、統計力学の理論と対応づく実験系を見出すことは実は非常に難しい。夏学という場を活用して、実験家としての西口の視点から実験系の設計思想などについても語るとともに、アクティブマターの物理学の目指すべき方向についても語り合いたい。

非平衡統計物理学と金融市場のブラウン運動

金澤 輝代士先生(筑波大学システム情報系 助教)

物理系のミクロ動力学を出発点に系のマクロな挙動を理解することが,統計物理学の目的である.その歴史的な例としてブラウン運動を考えてみよう.ブラウン運動は,水分子がブラウン粒子にランダムに衝突を繰り返すことによって引き起こされる.統計物理学ではこのミクロ描像は分子運動論によって定式化されており,ミクロ系のニュートン力学を出発点に,ボルツマン方程式・ランジュバン方程式といったブラウン運動の基礎方程式を体系的に導出することが出来る.

ところで,ブラウン運動は物理系特有の現象ではなく,類似する現象が社会系でも観測されている.例えば,金融市場での為替レートはブラウン運動と類似した挙動を示す.また,歴史的にもアインシュタインのブラウン運動の理論よりも先に,金融市場のブラウン運動の現象論が数学者バシェリエによって構築されていたことは注目に値する.このような金融市場での「広い意味でのブラウン運動」を,ミクロから理解することは面白い統計物理学のテーマである.

そこで本講義では,金融市場のブラウン運動を分子運動論の数理を拡張することでミクロから理解する研究を説明する.まずはデータ解析を通じて個々のトレーダーの行動法則を解明し,金融市場のミクロモデルを推定する.データ解析から帰納されたミクロモデルを出発点に,分子運動論の数理を用いることでマクロ系に向けて系を理論的に縮約する.この理論を通じて,金融市場のマクロな統計則を理解することを試みる.

物質におけるトポロジカル秩序とfracton相

藤 陽平先生(東京大学大学院 工学系研究科 助教)

相互作用する量子多体系の基底状態では、ボゾンでもフェルミオンでもない統計性に従う「分数化」された素励起が現れることがある。このようなトポロジカル秩序相は、2次元では点状の分数励起、3次元では点またはループ状の分数励起を持ち、それらは空間を自在に動くことができる。また、分数励起の存在により、基底状態は系の空間的なトポロジーに依存した縮退度を持つ。最近になって、3次元にはトポロジカル秩序相と異なる新たな物質相として、fracton相が存在することが明らかになってきた。Fracton相もやはり分数励起を持つが、その動きが0次元、1次元、または2次元の部分空間に制限され、結果として系の空間的なトポロジーだけでなく幾何に依存した複雑な縮退度を示す。このような性質にもかかわらず、fracton相を0・1・2次元の物質相の単純な「積み重ね」とみなすことはできない。この講義では、まず厳密に解ける模型を用いて、トポロジカル秩序相およびfracton相の基本的な性質を理解することから始める。続いて、トポロジカル秩序相の間の接合面あるいは相転移を記述するための「エニオン凝縮」の理論を導入する。これらの準備のもと、fracton相を系統的に構成・分類するための有力な理論として、トポロジカル秩序相の3次元的なネットワークとエニオン凝縮を組み合わせた「レイヤー構成」と「トポロジカル欠陥ネットワーク」の簡単な例を解説する。