第69回 物性若手夏の学校
Condensed Matter Physics Summer School
ミクロからマクロへ
マクロから世界へ

講義

概要

物性若手夏の学校のメインイベントであり、第1回から連綿と続く企画です。

それぞれの専門分野において研究・教育の第一線で活躍されている先生方を講師に迎え、3時間×3日の長時間をかけて、基礎的な事項からやや発展的な内容をお話しいただきます。

専門分野に近い講義を受ける、未知の分野に挑戦してみる、複数人で役割分担しノートをシェアし合うなど自由な方法でお聞きください。

第69回講義招待講師一覧(敬称略)

分野 講師 所属 講義タイトル
A 横内 智行 理化学研究所
創発物性科学研究センター
磁気スキルミオンの基礎と応用
B 求 幸年 東京大学
大学院工学系研究科
スピン液体の物理
C 花栗 哲郎 理化学研究所
創発物性科学研究センター
分光イメージング走査型トンネル顕微鏡
D 植村 卓史 東京大学
大学院工学系研究科
多孔性金属錯体(MOF)の開発と応用
E 辻 直人 東京大学
大学院理学系研究科
非平衡超伝導の物理
F 早川 龍 京都大学
白眉センター/基礎物理学研究所
量子アルゴリズムと量子計算複雑性理論入門

分野についてはこちらを参照してください。

講義アブストラクト

講義A 磁気スキルミオンの基礎と応用

横内 智行 先生
理化学研究所 創発物性科学研究センター

磁気スキルミオンとは、非自明なトポロジーによって特徴づけられるナノスケールの渦状の磁気構造である。スキルミオンがカイラルらせん磁性体中で安定に形成することが2009年に初めて報告されて以来、様々な物質でスキルミオンの形成が確認されてきた。さらに、スキルミオンと伝導電子が相互作用することによって引き起こされるユニークな物理現象も、スキルミオン研究の重要性を高めている。加えて、スキルミオンは、次世代デバイスとしての応用に適した性質も有しており、スピントロニクスを含む様々な応用分野でも研究が活発に行われている。

本講義では、スキルミオンの基本的な性質から応用までを解説する。初めに、スキルミオンの形成を理解する上で必要不可欠な磁性の基礎について説明し、その後、スキルミオンが固体中で形成する代表的な機構を、具体的な物質を紹介しながら解説する。続いて、スキルミオンと伝導電子が相互作用することで生じる輸送現象について、その背景にあるベリー位相の概念にふれつつ解説する。次に、スキルミオンの応用研究として、スピントロニクス分野におけるスキルミオン研究を、従来のスピントロニクス研究と比較しながら解説し、最後に最新の話題として、スキルミオンを利用した人工知能素子や量子ビットに関する研究を紹介する。

講義B スピン液体の物理

求 幸年 先生
東京大学 大学院工学系研究科

スピン液体とは、磁性体中で相互作用する電子スピンがもたらす奇妙な量子状態である。通常、磁性体を冷やしていくと、ある温度以下で強磁性や反強磁性といった磁気秩序が現れる。ところが、磁気相互作用の間に働くフラストレーションや量子揺らぎによって、低温極限までそうした秩序が妨げられることがあり、その結果スピン液体と呼ばれる状態が生じうる。そこでは、通常の磁気秩序や対称性の破れの代わりに、トポロジカル秩序やスピンの分数化といった顕著な現象が現れる。さらには、スピン液体に生じるエニオンと呼ばれる準粒子を操ることで、現在の量子コンピュータが抱えるノイズ耐性の問題を解決するトポロジカル量子計算が実現可能となる。本講義では、こうした奥深いスピン液体の物理への入門編として、長い研究の歴史を概観するとともに、最近の大きな潮流のひとつであるキタエフスピン液体に関する研究の進展を紹介する。

講義C 分光イメージング走査型トンネル顕微鏡

花栗 哲郎 先生
理化学研究所 創発物性科学研究センター

電子状態密度スペクトルを直接測定する電子分光の手法は2000年代に入ってから著しく発達し、波数空間におけるバンド構造を直接観測する角度分解光電子分光法や、電子状態の実空間分布を調べる分光イメージング走査型トンネル顕微鏡法(Spectroscopic-Imaging Scanning Tunneling Microscopy : SI-STM)が、物性研究の重要なツールとして様々な物質に応用されるようになってきた。SI-STMは、鋭い金属探針と試料表面に流れるトンネル電流の空間分布を測定することによって表面の凹凸像を原子分解能で調べる走査型トンネル顕微鏡法を発展させた手法であり、凹凸像の全てのピクセルでトンネル分光を行うことで、状態密度の空間分布をサブmeVのエネルギー分解能と原子レベルの空間分解能で描き出す。SI-STMは、実空間で局在した電子状態の研究に役立つだけでなく、波動関数の干渉によって作り出される電子定在波の観測を通して波数空間における電子状態の研究にも応用することができる点でユニークである。本講義では、SI-STMの原理と装置技術、得られるデータの意味と解釈、実際の応用まで、実例を基に詳しく解説する。特に応用では、銅酸化物高温超伝導体や鉄系超伝導体といった非従来型の超伝導体の超伝導ギャップや電子状態の解明、超低温・強磁場の極限環境におけるトポロジカル量子現象の探索について紹介する。また、今後SI-STMを基にどのような新しい応用展開が期待されるのか、皆さんと一緒に考えてみたい。

講義D 多孔性金属錯体(MOF)の開発と応用

植村 卓史 先生
東京大学 大学院工学系研究科

ゼオライトや活性炭に代わる新たな多孔性材料として、金属イオンと有機配位子との自己集合反応によって合成される多孔性金属錯体(MOF)が注目を集めている。この材料が有する規則性ナノ空間は、配位子と金属イオンとの様々な組み合わせにより、その構造を1原子レベルで思いのままに設計できる。本講義ではこのナノ空間材料の合成法や特徴を述べ、吸着剤や反応場、センサーなどへの応用について、今後の見通しも含め解説する。特に、MOFが形成する規則性空間を駆使することで、従来法では不可能な高分子材料の創出が可能になる。コンポーネントの自在配列により、MOF空間のサイズ、形状、表面状態は合理的に設計可能であるため、「分子で出来たナノフラスコ」として利用することで、得られる高分子やナノカーボン材料などの一次構造(立体規則性、反応位置、シークエンスなど)や集積状態(配向化、アロイ化など)を自在に制御できる。また、巨大で複雑な高分子鎖内のほんの僅かな異種構造を見極め、夾雑混合物中から特定構造の高分子鎖のみを分離することもできる。このような機能性ナノ空間を用いた新しい科学・技術について、これまでの研究を中心に解説する。

講義E 非平衡超伝導の物理

辻 直人 先生
東京大学 大学院理学系研究科

超伝導は物質の電気抵抗がゼロになり物質中の磁場を完全に排除するような「秩序立った状態」であり、ミクロな世界を支配する量子力学の性質がマクロな世界に現れる現象の一種である。超伝導体に強い光などを照射して非平衡状態にすると何が起こるだろうか?一見すると非平衡にすることで秩序が乱され、外から加えたエネルギーが熱に変わって、量子多体系の面白い性質が掻き消えてしまうように思われる。ところが、非平衡にすることで平衡状態では実現できなかった秩序や物性が発現する例が実験的、理論的に見つかってきている。例えば、平衡状態ではマーミン・ワグナーの定理によって2次元以下で有限温度で超伝導転移は存在しないが、非平衡ではそのような制限は存在せず原理的には任意の次元で超伝導状態が存在可能である。実際に、超伝導秩序を保つような非平衡多体状態の例が理論的に知られている。また、光によって超伝導秩序の振幅を振動させる励起モードを誘起することが可能であり、素粒子のヒッグス粒子との対応からヒッグスモードと呼ばれている。ヒッグスモードは通常、平衡状態から離れた非線形応答領域でのみ現れると考えられており、近年のテラヘルツ光の実験の進歩によって観測できるようになった。本講義では、このような近年進展の著しい非平衡超伝導の物理を基礎から解説したい。

講義F 量子アルゴリズムと量子計算複雑性理論入門

早川 龍 先生
京都大学 白眉センター/基礎物理学研究所

本講義では、量子計算の基礎から解説し、量子アルゴリズム理論や、量子計算複雑性理論・ハミルトニアン計算複雑性理論について最新の結果も含めて紹介する。

量子アルゴリズムに関しては、まず現代的な量子アルゴリズムのフレームワークである、量子特異値変換について紹介する。量子特異値変換の観点から、様々な量子アルゴリズムがどのように統一的に理解することができるのかを紹介する。また、ハミルトニアンに関係した量子アルゴリズムとして、基底状態のエネルギー推定アルゴリズム、基底状態の生成アルゴリズム、熱平衡状態を生成する量子アルゴリズムについて紹介する予定である。

量子計算複雑性理論に関しては、この分野の基本的な結果である、ローカルハミルトニアン問題のQMA完全性について紹介する。また、(QMAのサブクラスも含めて)様々なハミルトニアンの族の計算複雑性や、計算複雑性のリダクションの方法、また、ローカルハミルトニアンのユニバーサル性について紹介する。さらに、ガイド付きローカルハミルトニアンのBQP完全性について紹介し、計算複雑性理論と量子優位性の関連性の一例を紹介する。また、位相的データ解析と量子計算についての最新の結果なども時間の許す限り紹介する予定である。